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三倉岳 (広島県)
標高 701m 標高差 490m
2003年 5月 3日登頂
笠ヶ岳 (岐阜県) 日本百名山 No.57
標高 2897m 標高差 1780m
2002年10月12日〜13日 登頂せず
翌朝、ヒザの具合はよくならないので登頂は断念。 槍から登るご来光をゆっくり撮ることにした。 現在地より高い山から日が昇るわけで、空が完全に明るくなってからだと今イチありがたくない。 光量も多く、思いッきり逆光になってしまいほとんどの写真が真っ黒け。 並外れて出来の悪い写真になってしまった。
小池新道をそっくりそのまま引き返したので、ヒザはひどく痛かったがそこそこのペースで下りられた。 落差の大きい巨岩とかないしね。 もし登頂して笠新道を下ることになっていたらどうなったか、考えるだけでおぞましい。 今後はホンマに山登りを控えますんで。
北岳 (山梨県) 日本百名山 No.80
標高 3192m 標高差 1663m
2002年 8月 5日登頂
翌 4日は深夜の大雨と腰痛で起こされた。 無駄に山小屋然としているから(しつこい)、店じまいが早くて寝すぎてしまったのである。 朝食はさすがに和食、スタートは 5時半ごろ。 いきなり中程度の斜面から始まる登山道を 3時間弱、大樺沢二俣(標高 2225m)に至る。 ここまでで小さな山ひとつ分、日ごろの運動不足もあって水分を多めに取る。
ところが母は飲み物の余裕があまりないと言う。 んもーどこまで甘く見てやがる。 地図を開くと近くに水場があるらしいのだが、無駄足でない範囲には雪渓(!)を踏み越えていかねばならなかった。 雪の層ががっしり残っているわけもなく、このまま進むとヨゴレ芸人みたいに無様な絵ヅラをさらすな…と思い断念して引き返した。 あんなのだったら水場マークなんてない方がマシ。
わずか 30分休憩で出発すると母は言い出した。 ったく 10分で息上がるのによぉ、と思ってたら 5分で泣き言を言ってる。 読みの甘さと根性のなさが招いた悲劇、じっくり味わってもらわねば。 しかも歩き出してすぐに立ち止まり、回復してもいないのに再出発することの繰り返し。 サイテーのパターン。 付き合わされる身にもなってみろ。
登山道はオレの予想通り、穂高の 2日目みたいに「息をつくヒマのない」急斜面になっていた。 登り一本調子だから、歩きながら体力を回復するということができない。 しょうがないから大休止の回数を増やす。 …ふと近くの集団が妙に耳慣れた方言で会話しているな、と思ったらやはり岡山県民であった。 北岳まで来て和気富士(標高 173m)の話をすんなよ。
稜線にたどり着き、小さなピークを越えて北岳肩の小屋(標高 3010m)に着いたのは 12時半過ぎ。 標高差 1480m を 7時間強(休憩込み)で登りきったのだなぁ。 普通に歩くペースの 1/3 以下だったのに標準タイムとはね。 缶ビール 350ml が 500円とは何と良心的、つまみなどかじり寝床へ。 ついにやってきましたよ寝袋生活が。 寝袋だって寝相の悪いヤツはやっぱり悪い。
いよいよ登頂予定の 5日は強風と腰痛で起こされた。 外は 7℃と普通だが、10m/s を越える風がびゅんびゅん吹いている。 朝からこんな風なんて覚えがないなぁ。 それでも御来光をしっかりキャッチし、凍えながら 45分で山頂に到達した。
南アルプスの山には初めて登ったわけだが、やっぱり景色が全然違うんやね。 あまりにもあからさまな富士山、北に八ヶ岳、あとは全然わからなかった。 手元のマップでは遠くの山の名前はわからないのだ。 …かと思えば、高速道路の S.A. で手に入れたっぽい地図を広げてたオバチャンは大正解。
朝 6時ごろ、八本歯コル方面から下山開始。 昨日の登りの疲れはないが、ハイペースな下りであることには変わりはない。 大樺沢二俣までたどり着いたころにはすでに両足が震えるほどガタがきていた。 健脚とそうでない人の差は下りに表れるのであるよ実は。 結局 4時間コースを 6時間くらいかけて下りたのかなぁ。 あれ以上は無理やでー。
そうそう、広河原山荘まで 10分くらいの距離ですれ違った兵庫県のK高校ご一行よちゃんと登れたかい。 ユニフォームからラグビー部の新入生と見たのだが。 山頂まで6時間以上かかるんだから、スタート直後にいきなりフラついて倒れちゃいかんぞ。 もっとも荷物の積み方が最悪だったが。 山を甘く見る風潮が広がっているのでしょうか?
中蒜山(蒜山三座次峰) (岡山県)
標高 1122m 標高差約 610m
2001年10月27日登頂
奥穂高岳(穂高連峰主峰) (岐阜県、長野県) 日本百名山 No.55
標高 3190m 標高差約 1700m
2001年 8月14日登頂
翌 13日はゆっくりスタート。 前日からずっと曇りで、御来光も奥穂もなーんにも見えなかったのだ。 標高を上げていけば見えるさ、と登り始めるとこれがびっくりのハイペース勾配。 3時間あまりで北穂高岳(標高 3106m)に着いたが、登りのハードさと危険さで景色を堪能する余裕はなかった。 しっかり写真は撮ったけど。
登っている途中にどんどん雲が出てきてふもとは見えなくなったけど、北を望むと運良く槍ヶ岳(標高 3180m)が見えた。 どうみても槍。 何てわかりやすい。 なーんてやれやれ気分でいると、すぐそこで長野県警の山岳部?がニュース用の取材を受けていた。 ヘリもたくさん飛んでるし、また遭難の話かなぁ。
その不安は現実のものとなった。 北穂〜涸沢岳〜奥穂〜前穂 と続く縦走路はまるでノコギリの刃。 ただでさえ足元が狭いのに、お城の石垣をよじ登るようなルートが半分以上。 鎖があるのはまだいい方で、命綱も何もない(当たり前)「壁」をフリークライミングのごとく登らなきゃいけない。 しかも登りの後には下りあり、足を踏み外せばほぼ間違いなく死が待っている。 11日にも死者が出たという話だし、気がつけぱ断崖に花が供えてあるし、3時間の縦走は疲れも忘れて極限状態であった。
何度となく命の危険を乗り越えたのち涸沢岳(標高 3110m)山頂へ。 ガスだらけで視界はほとんどゼロ、奥穂が目の前にそびえているはずなのに見えない。 とっとと下っていくとすぐに穂高岳山荘に着いた。
この山荘は標準といえば標準。 ラクダのこぶの谷間のようなところに建っているので年中強風にさらされるらしく、大きな石垣に守られていてさながら砦であった。 夕焼けも日の出も美しいところで、晩メシ時にブロッケン現象があったらしいが一歩出遅れた。
14日は御来光をしっかり拝み、長丁場なので早々に出発。 あっさり奥穂山頂に着いちゃった。 それはそれは 350°の大パノラマであった。 南東には八ヶ岳、南アルプスの奥に富士山(!)。 南には前穂、その奥には焼岳(標高 2455m)、乗鞍岳(標高 3026m)、向こうに御嶽(標高 3067m)。 西にはロッククライマーもいた西穂高岳(標高 2909m)。 北は涸沢岳と槍が邪魔をして、立山連峰と後立山連峰はよくわからなかった。
吊尾根を伝い紀美子平へ。 やはり縦走路としては危険なレベルのルートだが、前日の苦労に比べるとぜーんぜん大したことはない。 むしろ足腰に疲れが出始めていて、ちょっとでも足場の岩が動くと大きくバランスを崩してしまう。 しかしせっかくここまで来たのだから、ちょちょいと前穂高岳(標高 3090m)に登ってしまう。 奥穂と槍をバックに「一粒 3190m」なーんてポーズの写真も撮ったが、当然背後は断崖絶壁。
極め付けがそこから。 連続 4時間強の下り、標高差 1600m を一気に下りてしまう。 あっという間に右膝がボロボロになり、かばいつつ歩くと左足全体がしびれてきた。 両足をやられたもんだからストックなんかあってもなくてもよく、腕力も頼りにして下っていった。 それでも梓川河畔まで下りてしまうと、一般のお気楽観光客よりはずっと快調な足取りだったりする。 「もう歩けない」と駄々をこねるガキをぶっ飛ばしたい(笑)。
いやー今回は無事に終わったことが何より。 もちろん体力的にもきつかったんだけども。 登山をするには最低限のやる気と最低限の根性が必要やな、という話を母にしていたら「それ名言だなぁ」と通りすがりのおじさんにほめられてしまった。 いやいやうちはやる気が先行してしまったいい例なので。 メンバーは選びましょう。
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