自動車たいへん記 2
最終更新: 1999年10月 7日
つまりこの試練に耐えるとよいわけだな、わずか1時間だものな‥‥としきりに考えていた。 それからまた、殴りあいになればとりあえず勝てそうだな。 二、三発はきれいに入れられるだろうな、ということも考えていた。 ブレーキをかけてギアをニュートラルにし、サイドブレーキをひいて外に出る。 それからゆっくり車の前を回って助手席のドアをあけ、この怒りの刈り上げ男に「おい、外に出なよ」といえばいいのだ、とその行動を分析した。
椎名誠「自動車たいへん記」より
なーんてことはこのオレにはあり得ないのだが(よく言った)、近い状況にならないとは限らない。 …とかく余計な予備知識ばかりが耳に入ってくるまま、オレは就職の年を迎えてしまった(笑)。 せっかくだから書いてしまえ。 これから免許を取りにいく学生諸君、教習所でどんな体験が君を待ちかまえているか、どれだけストレスがたまっていくか(笑)、参考にしていただければ幸いである。
- 第 1日 (1999年 8月 9日)
- いやーついに教習所へやってきた。 長く険しい道のりだった(誤)。 なんてボケもほどほどに、福澤は就職活動をするトシになってしまったのである。 ほとんど全く活動をしていないのだが、妥協して入りたくもない会社へ入るのだけはやめよう。 そう思って本命の会社の募集広告を見ると…「要普免」(爆笑)。
んなわけで、忙しい夏休みの間を縫ってこの日に入所したのである。 どれくらい忙しいかって、午後 4時からアルバイトがあるんだから(笑)。 入所式が長引くといけないので早退を申し出ると「4時までは残っていただきます」だと(笑)。 あーあ。
「入所式」といいながらそれらしい荘厳な式典も挙行されず、中年の教官が入ってきて「ハイ、じゃまず視力検査します」だと。 思いっきし肩すかしを食ってしまった(まさに一人相撲)。 ひととおり終わってオハナシらしきものをしようとするのだが、そこに遅刻者がやってくる。 ハイじゃキミも視力検査しましょ。 …いつになったら進むんじゃーっ(笑)。
入所式だったんだかニュー書式だったんだか、ボケにも切れ味がありませんが(笑)、そんな感じのお話の後はオネーサン教官登場。 いや、そんな書き方するほどの人でもなかったけどさ(今日の暴言)。 さっきのオッチャンよりは説得力のある話しぶりであれこれ説明してくれた。 どうやらそれが第一段階の学科 1 「運転者の心得(ウンテンシャノココロエ)」だったらしい。 ふーん。 これ正直な感想(笑)。
- 第 2日 (1999年 8月10日)
- 今日は 1時間だけ講習を受けた。 本当は昨日の入所式の後で受けなければならない科目があったのだが、バイトの都合で今日に変えてもらっていた。 この時点で既に同時入所の面々より後れをとっている(笑)。
案内された教室にはコックピットが 5台並んでいる。 そうそう、ふところから百円玉を出して長細い穴に…ってこれエンジンの鍵穴やん! はいオチのわかったネタは終わり。
ゲーセン顔負けのコックピットに乗り込むと、教官がレーザーディスクを取り出した。 ガイダンスが画面に流れる。 何だか、どうでもいい説明に時間をかけすぎてるんじゃないのかなぁ。 慶応年間に免許を取ったお役所人間が作ったらどうしてもそうなっちゃうのか。 「右へ曲がるときはハンドルを右に回します。 ハイやってみましょう」って言われてもなぁ。 どれくらい回すとどの程度曲がりますとか、いえ実は車種によって程度は違うのですとか、本当にオレたちが知りたい情報を流してほしいのだよなぁ。
そのうち、シートベルト着用サインが出るようになってしまった。 もちろんちゃんとベルトは締めている。 どこか配線の接触が悪いんだろうな、と思っていると…「1番の人、シートベルトは締めていますか」だと(笑)。 バカにしとんのか(笑)。 ちょうどその頃シフトチェンジの場面を練習していて、クラッチを踏むタイミングを必死で理解しようとしていたところだったのだ。 点いたり消えたりする着用サインが気になって何も頭に入りやしない(笑)。
結局自分のペースで練習させてもらえないままレーザーディスクが終わってしまった。 あんなのが実車に乗ったとき役立つわけないじゃないかーっ。 んなわけでかなりぷんすかしながら教習所をあとにしたのだった。
- 第 3日 (1999年 8月29日)
- あらま驚いた、約 3週間ぶりである(爆笑)。 忙殺夏休みに区切りがつき、体の節々の痛みももうおさまった。 激焼けした足の皮がむけはじめてるけど、まいっか。
教習原簿を受付で受け取ろうとすると…何やら見慣れた人名があった。 しかも金髪の写真付きで(笑)。 高校の同級生だったMくんである。 そろって学科を 3科目受けることになり、合間にいろいろ話をした。 彼は今日入所したばかりだったが、オレは 1科目しかリードしていない(笑)。 しかも彼はファーストコース(短期集中)なので、明日には追い抜かれているはず(笑)。
まず受けたのが学科 13 「運転免許制度・交通反則通告制度」。 カン高い声のオッチャン教官。 直接運転技能には関係ない上、複雑で試験によく出るという(笑)。 いきなり受ける科目じゃねーな。
続いて学科 2 「信号に従うこと」。 整備工場から直行してきたのでは、という出で立ちのオニーチャン教官であった。 これはまぁよし。
そして学科 8 「歩行者の保護など」。 教官が桂小枝みたいなオッチャンで、話しっぷりももはや「口上」なのである(笑)。 その上交通ルールを試験問題に絡めてしか説明しないものだからだんだん腹が立ってきた。 何のための交通ルールなのか。 試験にパスするためじゃねーんだぞ(反撃)。
今日はこの 3つでおしまい。 …このペースでいくと技能講習がごっそり残ってしまう。 しかし 1日に 2時間しか受けられないのじゃーん(笑)。 オレの夏休みは第二段階の途中で終わってしまうのかなぁ。
- 第 4日 (1999年 8月31日)
- なかなか実車に乗れない。 予約制なのだが、ファーストコースの人用に教官がおいしいところをごっそり持っていってしまうのだ(笑)。 んなわけで、初めて乗れるのは明後日になりそうである。 もちろんMくんにはとうに追い抜かれた(笑)。
今日は 2科目受講した。 まずは昨日の学科 2 と同じオニーチャンの 4 「車の通行するところ・車が通行してはいけないところ」。 うんうん、LD よりオニーチャンの説明の方がずっとわかりやすい。
どうして教材の LD ってあんなにへっぽこなんだろうね。 「〜してはいけません」はまぁわかるとして、「〜の場合〜することができます」とかいう表現の何と多いことか。 オヤクショの言いなりになって作ってるんだろうけど、受講者としては何が言いたいのか焦点がわかんない。 これだけ車が街にあふれる世の中になってるんだから、免許を持ってなくても多少の心得があるとの前提で話を進めてもらいたいものだね。 それはおかしいという人がいれば、オレは「学校教育みたいに“個に応じた教育”をやってくれ」と言いたい。 世に自動車学校・教習所はたくさんあるんだから、そういうところで競争原理をはたらかせてほしいものである。
その後は学科 11 「追い越し」 12 「行き違い」である。 中居正広みたいにうるさくしゃべるタイプの教官で、根本的に考えが間違っておる。 「追い越し」と「追い抜き」を厳密に区別する必要性はどこにあるのか、という時にコイツははっきりと「試験対策」と述べた。 そんな 1度終わったら忘れちゃうような知識を教えるのはやめて、もっと交通安全のためになる話をしてくんないの。 …こりゃあ、怒鳴られたりしなくてもストレスがたまっていきそうだぞ。
- 第 5日 (1999年 9月 2日) (エンスト 3回)
- Mくんは第一段階の学科を全て修了し、学科試験の模擬試験も合格したそうである。 この差は何なんだ。 こっちはこれから実車に乗るってのに(笑)。
ともかくコツコツと学科をこなす。 今日は 1時間だけ、学科 5 「緊急自動車などの優先」 7 「安全な速度と車間距離」。 うちの大学のT先生に似ている教官だった(誰もわかんねーよ)。 桂三木助というとわかりやすいか(笑)。 説明に時間をかけすぎて慌ててた。 …そんなことは別にかまわない。
ねぇ聞いて聞いて(やや興奮気味)、初めて実車を運転したんだよー。 オレは昔から助手席で腕を磨いていて(笑)、運転しないくせにあれこれ口を出すタイプであった。 土地勘が抜群に優れていて、一度通った土地ならば運転者よりも確実に覚えていた。 そういうタイプなのだ、実車に乗った途端パニックに陥るのは(笑)。
指導してくれた教官はタクシーの運ちゃん風のオッチャンで、家庭でも細君の巨ケツの下に敷かれていそうな人だった。 「まず私が乗ってみるからね、まぁ横で見ててね」と模範運転を。 なるほどうちの父よりも、当然母よりも心地よい運転をしてくれる(そういうところはうるさい)。
「じゃあ交代ね、乗ってみてね」
「はい、前のカートレーナーから 3週間たってますけど頑張ります」
「‥‥‥‥」
この1時間は、もちろん運転に慣れる意味があるのだが、問題点は全てクラッチの使い方にあった。 我が家から MT 車が消えて 10年ほど経過しようとしているのである。 カートレーナーではクラッチを踏んだところでマシンが揺れるわけでもなし、まさにこの日まで未知の領域だったのだ。 当然踏み忘れを多くしでかす。 激しく、それはそれは激しくノッキングしてエンスト。 さっそく 3回ほどやらかした(笑)。
そのかわり、ハンドリングとシフトチェンジはパーペキ。 いきなりトップに 2回ほど入れたことを除けば、クラッチの使い方も含めて全てがうまくいった。 手元をちらっと見るだけで操作できるものだから、教官に言われなくても勝手にギアを上げてたりする(爆笑)。 初日なのに。
教官は多くを語らなかったが、去り際の一言が全てを物語った。
「今度からはね、なるべく間をあけずに実車に乗ってね」
- 第 6日 (1999年 9月 3日) (エンスト 2回)
- 今日は技能講習が 1時間だけの予定。 たった 1時間のためにわざわざ、という気もしたが、毎日ハンドルを持つことに意味があるんだ、と自分に言い聞かせてペダルをこぐ。
今日の担当は辰巳琢郎風の教官。 すごく熱心ないい人に見える。 のだが、オレとよく似て頭の回転がめちゃめちゃ早く、マシンガンの如く説明やら指導やら注意やらしてしまうのだ。
「3番左折するからね、今の左折よかったね、次 9番右折するけどまず方向指示機を出したあとどうするんだっけ」
「…3秒待ちます」
「そうそう、ちょっとふくらんだかな、次の停止線まで進んで一旦停止してね、あの車向かってこないから行こうか、おっと今のクラッチの切り方は早過ぎるぞ」
「…10番も右折ですか」
「そう右折して、右折したあと車線の左側にもっと寄ろうな、直線に出たらまず加速するんだぞ、福澤くんはセンスがいいからぶつかったりしないよ、大丈夫だ!」
ってな具合。 句点を打つヒマがない(笑)。 ご丁寧にオレの名前を覚えてくれてるのはいいんだけど、話を理解するのに精一杯で注意力を欠いちゃう(笑)。 クラッチの使い方もいくらか教えてもらえたけど、マシンガン説明を何発受けとめられただろうか(笑)。 結局発進のコツがうまくつかめないままなのでした。 今日はこれで終わり。 どっとわらい。
- 第 7日 (1999年 9月 4日) (エンスト 1回)
- ここ 1週間、生活リズムが教習所を中心に回っている。 たるみがちな夏休みとしてはよい傾向なのかもしれないが、こうして深夜までかかって執筆していると疑問符をつけずにはいられない。
まず学科 3 「標識・表示などに従うこと」。 もっぱらMくんのお抱えらしい桂小枝氏が教壇に立つ。 小枝氏はなんでもかんでもアンダーラインを引かせる人で、後で見直すと何が重要なのかさっぱりわかりゃしねぇ(笑)。 今日は標識がいっぱい出てきたからなおさらのことであった。
そして技能講習の 3回目。 早くも当たってしまったのだ、キョーレツな人に。 椎名誠氏の分類によるタイプ@とにかくやたらにエバりまくるタイプ に当てはまるのだろうか。 ちなみにいえば 1回目の教官はD奇人タイプ、2回目はCわりあい正しいタイプ としておこう。
どんな風にエバりまくるかって、スローモーなべしゃりなのに極端な威圧口調なのだ。 「カ ー ブ は ア ク セ ル な ん か 踏 ま な く て も 曲 が れ る、 早 く 行 こ う な ん て 思 わ ず ゆ っ く り 行 け ぇ」ってな具合。 最初はその口調にビビってしまって発進の手順さえも忘れてしまったが、慣れてくれば居酒屋で客を手玉に取るのと同じ要領であることがわかる(今日の暴言)。 すっかり慣れた頃に坂道発進を練習したが、言われたとおりやればうまくいった。
車庫に戻ってからは意外な言葉を口にしてくれた。 「き み は ハ ン ド ル 操 作 は 完 璧 だ か ら う ま く で き る は ず だ ぁ、 慌 て ず 落 ち 着 い て ゆ っ く り 操 作 し ろ ぉ」と。 やっぱりオレのハンドリングはウルトラC級らしい(誇大妄想)。
その後学科 9 「安全の確認と合図・警音器の使用」 10 「進路変更など」。 …タイトルに「など」とつけられるとちょっと困惑してしまうのだが気にしてもしょうがない。 甲高い声のオッチャン教官再登場で、やや若い頃の蟹江敬三に似ていることが判明した。
今日はここまで。 オチがなくてごめん(笑)。
- 第 8日 (1999年 9月 5日) (エンストなし)
- 初めて女の人を助手席に乗せちゃったぁ(うれしそう)。 そんなとりたてて言うほどのことでもないのだろうが、車を運転するということ自体がオレにとっては未知の領域であるから、ささいなことでも話したくなっちゃうわけ。 「今日初めてドライブスルーに入った」「今日初めてあの信号間を引っかからずに行けた」「今日初めてゲーセンで MT 車を運転した」とかね。 …すんげーつまんないこと書いてるな、オレ(笑)。
そんなわけで、まずオネーサン教官に当たった。 かわいらしい人である。 タイトスカートで運転すんなよと言いたくもなったが、料金込みのサービスと思って我慢する(いやなんか)。 たびたびスカートを直すのでかえって気になってしょうがなかった。
坂道発進を数度復習した後、序盤のハイライト「後退」である。 安全を確認して、後輪がこのあたりに来たらハンドルをいっぱい切って、曲がれそうだったら左前方と左後方をよく見て、とチェック項目が多い。 覚えることは難しくはなかったが、運転席から見えないところでタイヤがちゃんと縁石をかわしてくれているか信じられない(笑)。 クラッチ操作だけでゆっくり後退するのだが、クラッチをいっぱい踏んでもずるずると後退するので慌ててブレーキを踏む。 どうして緩く傾斜しとんのじゃーっ(笑)。
その次の時間はまたタイプDの教官に当たってしまった。 仮にも居酒屋歴 3年弱、同じ人に続けてやりこめられるわけにはいかない(笑)。 営業用の笑顔でかわし、S字・クランクもさっきの要領で難なくこなす。 2度ほど縁石に乗り上げたから完璧ではなかったが、もうコツはつかんだ。
ちょっと気になったことがある。 道路交通法では「右左折するときは交差点の手前 30m までに方向指示器を出しておきましょう、ちんぷんかんぷん」みたいなことを書いてあると思う。 教習所内はやたら交差点が多く、30m 手前からウィンカーを出すとかえってまわりの車の迷惑になると思うのでギリギリまで出さない。 ところが教官は「と に か く 先 に ウ ィ ン カ ー を 出 せ ぇ」と言う。 ここんところが路上との違いなんだろうなぁ。
- 第 9日 (1999年 9月 6日) (エンストなし)
- 今日あたりから応用の段階に入っていく。 とは言ってもひと通り習っただけだから、特に方向転換なんかはいつまでも苦しむんだろうなぁ。
第一段階の学科もいよいよ最後、6 「交差点などの通行・踏切」。 寝ぼけまなこのモハメド・アリのような教官で、要点だけ説明してくれるのはよいのだが、大事でもないところは文字通り「うにゃらうにゃら」と言いながら読み飛ばしていく(笑)。 望んでいた通りの教え方をされると意外に退屈なもので、いつの間にか眠気を覚えていた。
今日はまず AT 車に乗った。 担当は川口和久似の教官。 明日の無線教習で使うコースを 1度回り、AT 車の特性なんかを語ってくれた。 そしてコースを外れ、小さな段差のある場所にはまりこんだ。
「んじゃここで交代しましょう」と言う(ええーっ)。 まだ AT 車のアクセルも踏んだことないのにーっ。 段差を抜けるには勇気を出してアクセルを踏んだらいいのだが、今日は初めての雨天(笑)。 じわじわと踏んでいくと見事にスリップしやがる(笑)。 かなり思いっきり踏んでも大丈夫なのだが、あせって早くブレーキを踏んでしまう。 段差を登り切れず、がっくんと落ちたりもした(笑)。
AT 車はやはり MT 車と違い、クラッチがない分かなり気の使い方が違う。 まず左足の居場所がない(笑)。 走行中はよいが、一時停止をしようとするとウロウロしてしまう(笑)。 それから第二にエンジンブレーキがあまり効かないこと。 アクセルから足を話しただけではスピードが落ちず、カーブ直前でブレーキのお世話になることが多かった。
仮免許学科試験のための模擬試験を初めて受けてみた。 本当は空き時間に積極的に受けなきゃいけないんだけど。 勉強せずに挑戦して 84点、まあまあである。
そして MT 車に戻り、無線コースを復習する。 元サッカー小僧教官が担当。 クラッチのある生活に戻ったら急にノッキング&エンストの恐怖と戦わなきゃならなくなった(笑)。 ついクラッチに足が伸びてしまい、肝心なところで踏み忘れたりする(笑)。 この指導課程、何とかならないのかねぇ。
この教官は発進時の確認と加速にうるさい人であった。 路上で通用する運転技術を、というのが目標らしいのだが、何もセカンドでそんなに回さなくてもっていうくらい加速を命じられる。 んならサードにしてしまえよとも思うのだが、次のコーナーが目前に迫ってきてそのヒマはない。 走り屋気質のはずのオレがこんなことウジウジ言ってるって、オレらしくない?
- 第10日 (1999年 9月 7日) (エンストなし)
- Mくんは無事仮免許証をげっちゅうしたらしい。 オレはマイペースコースなのだが、毎日2時間しっかり実車に乗っていれば追いつけるかなぁ。 計算したところ、オレが仮免を取る頃にはMくんは卒業検定も終わっている(笑)。
まず 2回目の模擬試験。 前より自信をもってできたのだが 82点(笑)。
そして次の時間は史上初、福澤ジャストミート諭吉単独走行の巻! …大げさなのでこれくらいにしておくが(笑)、無線教習ということで助手席に教官を乗せず、自分だけの判断で車を操るのだ。 先のS字・クランクの練習以来、左折のハンドル操作がちょっとタイミングを取れなくなっている。 誰も補助ブレーキを踏んでくれないというのは予想通り心細いものである。
教官はデイリースポーツの朝倉さんそっくりな人で(笑)、同時に 3人の面倒を見るらしい。 後の 2人は三十路を過ぎたっぽいオネーサマと、オレ大学サボってまーす的セーネンであった。 オネーサマは 2回目の無線教習で、オレはセーネンと一緒のコースを回る。 車に乗り込むと、朝倉氏が無線で「ガードレールに近寄らないようにね、大変なことになるから」と 5回くらい言った(笑)。 キープレフトの原則を守らなくてもいいらしい(笑)。
駐車していた車の都合で、オレはセーネンの後にコースを出発した。 めちゃめちゃ遅い(笑)。 そりゃ初めて独りで乗ってびゅんびゅん飛ばす方が異常なのだが、いつもの感覚から考えて明らかにセーネンは遅かった。 さすがに車間距離を詰めることはしないが(笑)、ぴったり後ろをくっついてしばらく走った。 するといきなりセーネンは交差点を直進した。 間違えたんだな。 彼の方が大回りになり、オレは普通に前に出た。 障害がなくなったんだもん、飛ばす飛ばす(笑)。 全部でコースを 4周、8km くらい走った後には半周差がついていた(笑)。 今度は周回遅れにしちゃる(すんなよ)。
- 第11日 (1999年 9月 9日) (エンスト 1回)
- 第一段階の学科は全て終わり、技能の方もほとんどの項目が終わった。 でも実車に 15時間乗らないと課程を修了できないので、ただ時間つぶしのために乗っているような気分である。
今日もまず模擬試験に挑戦。 5問間違えて 90点、合格である。 関門ひとつクリア。
続いては豊田泰光っぽいオッチャン教官に当たった。 無線教習第 2回のコースを回る。 少々威圧口調だったが、オレのハンドリングに非の打ちどころがない(よく言った)と知るや、全くしゃべらなくなってしまった。 2周ちょいしか走れなかったがそれで終わり。
そして2回目の模擬試験の問題に再チャレンジ。 96点(当たり前)。
本日最後もオッチャン教官。 顔はよく覚えていないが、とにかく安全確認にうるさい人であった。 交差点から出ようとすると、いきなり何の前ぶれもなくガン!と補助ブレーキを踏んだのだ。 かえって驚いてしまって、あわてて左右を確認すると、はるか左から女の子の乗った AT 車が 5km/h くらいでトロトロやってきたりする(笑)。
- 第12日 (1999年 9月10日) (エンスト 1回)
- 無線教習の 2回目〜。 土地勘のよさのおかげでコースは完璧に頭に入ってるし、坂道発進も大丈夫だし、何も不安材料はなかった。 ただ一つ、直前にバッティングセンターに行ってて右肩を壊したことだけが(笑)。
同じコースを走るのはオタク街道まっしぐら状態のショーネンであった。 こいつもノロそうだな。 …そんなことしか考えてないオレは危険人物だろうか(笑)。 もう 1人、1回目のコースを走る女の子がいた。
今日の走りは確かに荒れていた。 クラッチワークが滑らかさを完全に失っている。 シフトダウンの時の減速・ギアチェンジが以前からの課題で、この日もガタガタいいながらやっていた。 S字やクランクは自分でも驚くほどの速さでクリアしたのだが、本線に戻って飛ばそうと勇んだところでエンストするし(笑)。 しっかり減点されていた(笑)。 情けねーな。
焦れば焦るほど(なぜ)渋滞につかまるのがよくあるパターンである。 逃げ馬のごとく直線を飛ばすと、今日もトロトロな AT 車に追いついてしまった。 めちゃめちゃ遅い。 いつまでたっても車線変更してくれない。 …全く同じコース走っとんのか(爆笑)。
- 第13日 (1999年 9月11日) (エンストなし)
- とりあえずは無線教習の 3回目を残すのみ。 場内をうまく走るために運転方法を習っているわけではないのだが、まぁオヤクショには逆らわないでおこう。
今日は辰巳琢郎氏に当たった。 2度目である。 あれからオレもかなり上達したのでマシンガン説明は受けずに済んだが、オレのイケナイトコロをしっかり見抜かれている。 安全確認の手順が落ち着いてできていないこと、減速したときにセカンドでもクラッチを思わず踏んでしまうこと。 うーむズバリ当たっている。 クラッチの件はやっぱりわかりますか、と言うと「私にもそういう傾向があるから」だと(笑)。 似たもの同士、か。
辰巳氏は検定を受けるに当たっての必殺技を伝授してくれた。 それはすなわち「一連の動作を優雅に行うこと」(笑)。 安全確認でもギアチェンジでも、自信満々にゆったりとやれば教官が納得してしまうのだそうだ(笑)。 不安げにやってると眼を光らされるものね。 これはいただき、みなさんもぜひ参考に。
- 第14日 (1999年 9月12日) (エンスト 1回)
- 今日は実はコンディションがよくなかった。 「こんなときはくるまにのるのはやめましょう」と、学科教本の最初のページに書いてあるような状態だったのだ。 直前でキャンセルはきかないからやむなく乗る。
無線教習の 3回目、オレと同じコースを走る人は他にはいない。 初めて無線教習に挑戦する女の子もいたが、いつもの調子を取り戻そうと足早に車に乗り込む。 今日のうちにクラッチに頼る癖を直さなくっちゃ。 あれこれ考えるうちに発進したが、教官の指示がまだ終わっていなかった(爆笑)。
それはそれは、明らかに緊張感がない走りっぷりであった(笑)。 その方がいいような気もするが、オレは気を抜くとびゅんびゅん飛ばしてしまいそうなのだ。 だから必死に自分を制止する。 …気がつくと「止まれ」の停止線を 1m ほど越えていて(笑)、横に教官がいないのをこれ幸いと急ブレーキを踏んだりした(笑)。
まだある。 同じ道幅の道路同士の十字路があって、そこには信号がついていない。 右から直進車が来ているが、左方優先だからオレ行けるもんね。 ふらふらと進もうとすると左に直進車がいた(笑)。 またも急ブレーキ。 やり過ごしてやれやれ、発進しようとして交差点のど真ん中でエンストした(爆笑)。
バッティングセンターに行って心身ともリフレッシュし、第一段階最後の講習「みきわめ」に挑む。 担当はMくん専属の桂小枝氏であった。 「Mくんがどうもお世話になりました(笑)」とあいさつすると妙にゴテイネイな会話になったりもしたが(笑)。 一時停止にうるさい人だったので、言われたとおりきちんとやった。
6番という交差点はわざとブロック塀が作ってあって見通しが悪い。 今日になって初めてそこを通過した。 危なそうだからスピードを落としてローギアにして、安全確認を三重に…。
「いいですよ、いい通り方だったですよ」
「初めて通ったので特に気をつけてみました」
「…えっ?」
小枝氏はいきなりハンドルを奪い(爆笑)、強引に方向を変えて車をもう一度6番に向かわせた。 今のでよかったんじゃんかよー(笑)。 ともかくオレは完璧なのだ(よく言った)。
小枝氏はその後再び急ブレーキを踏んだ。 道にヤモリがいたらしい(笑)。
「みきわめ」は滞りなく終了した。 明後日はいよいよ仮免許のための修了検定。 なんだけど、Mくんは明日もう卒業検定なんだそうだ(笑)。 すげー差(笑)。
- 第15日 (1999年 9月14日) (エンストなし)
- いよいよ修了検定〜。 昨日は車に乗ってないし、学科の勉強も全くしてないんだよーん(笑)。 いいのだ、これがオレのスタイルなのだ。 ママが電話してるとインターネットができないのだ。
集合は午前 8:30。 バカ正直に 1時間前に到着したオレは、クーラーの寒風に震えながら学科教本とにらめっこしていた。 んで説明は 20分ほどで終わり、その後 1時間半することなし(笑)。 正確には「待ち時間」なのだが、オヤクショ仕事はやたらと時間がかかるのである。
普通車の仮免に挑戦したのは 5人。 大工の茶髪セーネン、大阪の大学に通う女の子、オレ、女の子の友達、無線教習 1回目で一緒になったオネーサマ、の順で技能試験を受けた。 セーネンは極度に緊張しているようで、キャラに似合わずべらべらしゃべりまくっている(笑)。 いつの間にか 5人は「運命共同体」となり、異様な盛り上がりを見せていた(笑)。
前の彼女の運転に同乗した後オレの番。 井川比佐志に眼鏡をかけさせた感じの教官で、ひどく会話が成立しない。 堅い割に眼差しが鋭くなかったので、ごくごく普通に発進の手順をした。 最初の発進は今世紀最高の完璧さで(よく言った)、その瞬間にオレの合格は保証されたようなものだった。 走行中に減点されることはなく、終わってから「ポンプブレーキをはっきりとしましょう」と注意を受けただけであった。 5人全員が合格。 オレの後の彼女は 4回チェックされたと言っていたが、ちゃんと合格していた。
直後に学科試験。 鈍そうなオジーチャン教官はゆっくりとすごいことを言いはじめた。 「数字は欄の中央に書いて、枠にかかっちゃだめ、上下はちゃんと 1mm あけて、幼稚園で習った通りに」「丸は大きく濃く、きれいな丸で」「解答用紙を問題用紙に一部分でも重ねちゃだめ、逆は構いませんけど」「早く終わった人は寝てもいいけどヨダレを垂らさないように、解答用紙は逆にして伏せて横に置くように」他さんざん言い続けた(笑)。 公安委員会がそこまで規定してるのか(笑)。 それだけ注意した割には、試験が始まってからは教官の靴音がうるさかったけど(爆笑)。
学科免除のセーネンを除く 4人はそろって合格だった。 あやふやな問題は 4人で確認し、オレの答案はほぼ完璧であることがわかった。 「この中に 100点満点が 1人います」の言葉に両手をあげそうになった。 オレではなくオネーサマだった(爆笑)。 どこ間違えたかわかんねー(笑)。
仮免取得が 15日目。 相撲でいえば千秋楽だが、まだまだ中日に過ぎない。 オレの夏休みも先が見えてきていて、これからの道のりが長いのかもしれないなぁ。
「もうこんなの早く終わるといいですね」オバチャンは言った。
「ほんとうですね」
「あたし、路上に出るとこわくてこわくて。 昨日は夢みちゃったわあ」
「そうですかあ」
「早くおわらせて、免許とりたいわ」
「本当ですね」
「そうしたらもうクルマのらなくてもいいんですもんね。 もう毎日こわくてこわくて‥‥‥」
「‥‥‥」
椎名誠「自動車たいへん記」より
それでは第二段階をどーぞ。
- 第15日 (1999年 9月14日)
- 第二段階の教習が始まる前にまず原付講習が行われた。 レオナルド熊みたいな教官がやってきて、その前にまず“シートベルトコンビンサー”を体験しろ、という。
想像がつくと思うが、要するに衝突実験である。 エアバッグはなく、シートベルトのみが頼りである。 7km/h で激突するということがどれほどのものか、オレには想像つかなかった。
「今日は女性が多いみたいだけど、妊娠してる人はいませんね、はははは」
「…」
教官はほっといて(爆笑)マシンに乗り込む。 ジェットコースターにも似た恐怖感に襲われる。 きりきりとセッティングされ、どうぞレバーを引いて下さい、と。 意外にもゆっくり動き出し、安心したとたん激突。 文字通り激突。 もうわかりました、ちゃんとシートベルトします、ハイ。
続いて原付の乗り方。 ちょっとだけ説明をした後ちょっとだけ乗って終わり(笑)。 オレは幼い頃小さい二輪車で怖い思いをしたのだが、オトナだから平気さっ(さわやか路線まっしぐら)。
原付のキーに長いひもがつながっていることに気がついた。 50cm くらい地面を引きずっている(笑)。 オレは親切にも、進み出てそのヒモを束ねてやったのだ。 すると教官があっさりほどいた(爆笑)。 どういう意味があるんじゃーっ。 その後も、教官は下を向くたびに胸ポケットからペンをばらばらと何度もこぼしたし(笑)。 史上最も奇妙なキャラであった。
最後に学科 11 「駐車と停車」。 久しぶりの学科は眠い。 普通にこなし、できたばかりの仮免許証を受け取って帰った。 いよいよ次回は路上に出まーす。
- 第16日 (1999年 9月16日) (エンスト 1回) 走行距離 16km
- 学科の内容がだんだん真実みを帯びてきはじめた。 8 「悪条件下での運転」、14 「交通事故のとき」 15 「自動車の所有者などの心得と保険制度」、5 「適性検査結果に基づく行動分析」の 3時間を受講する。 保険に入ってなかったがために 1件の死亡事故が家庭を崩壊させていく、という設定のナキメンタリー劇場があったりもしたが、所詮は教材でしかなかったりする(暴言)。
そしていよいよ路上へ。 吉田照美風の教官で、写真より実物がブサイクな人である。 昨日は車に乗らなかったが、感触を取り戻すかのようにセカンドでいっぱいにふかし、場内を駆け抜けた。
路上に出たとたん…何度も通っているはずの道は全くの異世界であった。 時間の流れ方が違う。 みんな 2倍の速さで動いている(笑)。 前の車が発進するとたちまち大きな空間ができた。 やべっ、と思って焦ったのか、見事にエンストをやらかした(笑)。 直後が教習所の送迎バスだったので、何とか恥は最小限に食い止めたけど。 吉田照美はというと…「落ち着いてクラッチから足を離さないと、ふぁーあ」と大きなあくびをした(笑)。 ファイティングポーズでハンドルにしがみついているオレの横で眠気もよおすなよ(笑)。 どうやら「やる気マンマン」ではなく、「やる気ノンノン」だったらしい。
言われるがままひたすら直進すると、そこは瀬戸内有数の工業地帯、水島の中心部であった。 大阪の交通事情を笑えない街なのである。 何でこんなところに連れてくるんじゃーっ(笑)。 他の車はどうも教習車が紛れ込むことに慣れているらしく、からかうように強引に車線変更してくる。 こうなりゃ逃げるしかない(なぜ)。 速度制限が解除になった 3車線道路で 60km/h を出すと、もうオレの視界にはアスファルトしか映らない(笑)。 必死に「来ないで!来ないで!」と、訳もわからず心の中で絶叫していたような気がする。
んで教習所に戻ってくると、時間が半分しか流れない(笑)。 オレは今までこんな急カーブを相手に奮闘していたのか、と呆然としちゃったね。
- 第17日 (1999年 9月17日) (エンストなし) 走行距離 15km、12km
- 迷いは吹っ切ってしまえ〜。 教習車なんだから傍若無人に走っちゃえ〜。 と言いたいところだが傍らには教官がいるよなぁ(笑)。 とにかく福澤さんは“路上の恐怖”を払拭すべく、学科を後回しにして走るのだった。
初路上から一夜明けた今日はキュロットのまぶしいオネーチャン教官でスタート。 オッチャンだったのがドタ変更になったのだ。 キュロットとわかっていながらスカートを直す仕草が気になって、いつの間にか恐怖心がなくなっていたりする(笑)。
昼間の水島は空いていた。 昨日とは全然表情が違う。 プレッシャーをかけてくる車が少ないので、運転中の気の配り方などに専念できた(上と言ってることが違う)。 このあたりで左に駐車してみましょうね。 言われたとおり駐車する。 「はい、ここがコースのゴール地点のひとつになります」 …へ? そっそんな、砂漠の真ん中で地面に目印をつけるようなことをしないで(笑)。
1時間おいて学科 16 「経路の設計」。 かなりどうでもよくなってきた(笑)。
今日の最後、路上 3回目は稲垣吾郎を思わせるオニーチャン教官。 本当に稲垣吾郎の雰囲気があって(知ってるんか)、オレがもし女だったらこういうところで引っかかるんだろうな(笑)、という気がする。 オレなんか相手にカッコよくキメないでいいからさぁ(笑)。
「左折のときに車線の左に寄せるのは何のためだっけベイベー(嘘)」と言う。 バイクを巻き込まないように、左側をするするっと抜けさせないためですか? そうだね大正解だベイベー。 その横を原付が通っていった(爆笑)。
明日からは方向転換とか縦列駐車などをやるらしい。 60km/h 出したいのにぃ〜(じたばた)。
- 第18日 (1999年 9月18日) (エンストなし) 走行距離 15km
- そろそろ路上のスピード感にも慣れてきた。 40km/h がそろそろ遅いと感じてきたのである。 あまりいい傾向じゃないな(笑)。
まず桂小枝氏の担当で水島へ。 声とか言い方は上岡龍太郎に近いかもしれない。 んなことはともかく、いつものように 40km/h ギリギリで走っていると小学5年生くらいのおガキが自転車で無理に横断した。 オレは予想してたけど、対向車はかなりの急ブレーキを踏んでたなぁ。
もう 1時間車に乗ったんだけど、そちらは柳ユーレイ的ダメ男チックな教官だった。 オレが若い女の子じゃなくて悪かったな。 明らかに落胆気味のそいつは(笑)、顔では笑っていながらもトゲのある言い方をした。 カーブの遠心力、急ブレーキ、方向転換、縦列駐車など“やってみなきゃわかんない”項目なんだから、もうちょっと親切に教えてほしかったなぁ。
- 第19日 (1999年 9月21日) (エンスト 1回) 走行距離 15km、17km
- 岡山県に大雨洪水警報が発令されているのだ今日は。 しっかり雨降ってるし、丸 2日車に乗ってないし、かなりコンディションは悪いんだよーん(威張ることか)。
まず、11日目に当たった、安全確認にうるさいオッチャン教官の元で方向転換と縦列駐車を繰り返す。 わしゃーハンドリングにゃ自信あるけんのぉ(異国語)。 でもたまに安全確認を忘れることがある。 場内を走行中にうっかり勇み足をしてしまい、前を走る AT 車に迷惑をかけてしまった。 教官はなぜか何も言わない。 …寝とんのかーっ(爆笑)。 オッチャンはその後もたびたびイネムリをしたので、低速でわざと急ブレーキを踏んだりして楽しんだ(笑)。
続いて仮免の試験を審査したカタブツ教官。 会話が全く成立しない(笑)。 雨上がりでコンディションが悪い上、この教官の車は仮免のときからずっとアクセルの調子が悪かった。 なめらかに踏めないのだ。 んでグンと急加速になってしまい、堅い顔を井川比佐志のようにゆがめて睨むのだった。
交通量の多い 3車線道路で強引に左に割り込め、と言われた。 信号が青になったばかりなのでスピードが出ていない。 サードに達したところで間があいたので、さらにトップに入れようとした。 ら、うっかりセカンドに入ってしまい(笑)、激しくエンジンブレーキ。 その時の教官のあわてた顔といったら、何度もスロー再生されるべきものだった(笑)。
第二段階の模擬試験に挑戦。 飛び入りで 85点、こんなもんかな。
それから学科 10 「自動車の保守管理」。 タイヤ交換の実演もあったので、椎名誠氏の不満は改善されたと言える。
そして日も暮れた頃、ヤマ場である夜間走行の時間。 雨がまた降り出して路上は最悪の状態。 んなときに限ってイネムリ教官に当たってしまい(爆笑)、我が身の安全を心配する。 なぜかあせってしまい、停車中に座席を調節しようとして、ギアをニュートラルにしないまま足を離してエンストした(笑)。
さすがにイネムリはしなかったが、今度はやたらオレのハンドルに手を伸ばす。 オレがあっけにとられると「右の車線に入って」という。 右折するんなら口で言えーっ(笑)。 そういう感情は顔には出さず(笑)、「やっぱ夜って怖いですねー」と言うと「練習中は教官がついてるから大丈夫だ、わっはっは」と豪快に笑う。 だから心配なんじゃーっ(爆笑)。
- 第20日 (1999年 9月22日) (エンストなし) 走行距離 12km
- もうすっかり路上には慣れてしまった。 これ以上練習したところで何が上達するのか今イチわかりづらいところだが、そんな言葉は 3番目の引き出しに閉まっておく。
今日車に乗ったのは 1時間だけ。 無線教習で当たった教官だった。 水島の街以外ならオレの土地勘は大したものである。 初めて通るルートも難なくこなしてしまった。
学科は 6 「人間の能力と運転」。 ブルドック風のモハメド・アリ教官で、ほっとんど飛ばし読みをするので寝てしまいそうになった。
仮免の試験で一緒になった女の子と顔を合わせた。 今日卒業試験に合格したそうである、ぱちぱちばち。 安全運転しろよ〜、大阪は戦場だぞ〜(笑)。
- 第21日 (1999年 9月23日) (エンストなし) 走行距離 14km
- 8月は遠くなりにけり、といってもなぜか教習所には人が多く、思うように車に乗れない日々が続いている。 ので学科をチャッチャッと済ませることにする。
学科を詰め込むとちょっとつらい。 17 「高速道路での運転」、7 「車に自然に働く力と運転」、12「乗車と積載」 13 「けん引」、4 「死角と運転」の計 4時間。 タイプ@の教官に当たったりもしたが、学科の教え方はすごくいい感じであった。 ウンウンこの人は学科に向いている。 逆に辰巳琢郎氏は、学科の授業でもマシンガントークだった(笑)。
1時間だけ車に乗ったのは豊田泰光氏の担当。 時間になっても来やしねぇ(爆笑)。 配車係があたふたあたふたと走り回ってくれた中、はるか彼方から AT 車が猛然と突っ込んできた(笑)。 豊田氏は平然とした顔で一言、「小便するヒマもありゃしない」(笑)。
最近速度超過をするようになってきた。 良い傾向なのか悪い傾向なのか。
- 第22日 (1999年 9月25日) (エンストなし) 走行距離 7km
- いよいよ教習も大詰めの段階になってきた。 まだ女性教官に全員当たってないよ〜、なんていう発言はオレのキャラじゃなかったな(笑)。
まずはシミュレータ教習。 実車じゃなくてシミュレータということは、その意図はもうおわかりだろう。 そう、事故に遭っていただきましょう劇場なのである。 そして教官もブラックなことを言いまくるのだ。 「路上で何人ひき殺したことがある?」ってな具合(爆笑)。 なにくそ、と思ってやってみると、見事に二輪ライダーをひき殺した(笑)。
その後は「セット教習」という、危険予測の講習。 さっきのシミュレータで一緒になった女の子と2人で AT 車に乗り、危険な個所がなかったか調べようというものだ。 2人とも危険な目には遭わなかったが、天下無敵の原付オバチャンの登場には一同腹を抱えて笑った(笑)。
その後教室に戻ってディスカッション。 他にこんな場面があります、とクイズ形式で討論することになったが、オレの勘は冴えまくっていたので教官が困っていた。 芸人殺しですんまそん(笑)。
- 第23日 (1999年 9月28日) (エンスト 1回) 走行距離 12km、14km
- 9月中に免許を取得してしまうつもりだったのが、ちょいと予定が狂っている。 どうして今月の後半は人が多いのじゃーっ。 なーんか悔しい気分。
今日は朝の 7時に起きた。 週に 2回しか開講されない「応急救護処置」の実習があるのであるのである。 要するに心肺蘇生法を学ぶのだ。 内容が多く、3時間連続で辰巳琢郎氏のマシンガン説明を受ける。 朝飯食べてこなかったからヒジョーにつらい。
んで午後、さっそく辰巳氏に当たった。 今日はマシンガン説明はなかったが、そのかわりにマシンガン補助ブレーキを使ってきやがる(笑)。 交差点はもうちょい先だってのにトップギアのまま補助ブレーキを思いっきし踏まれ、えっ?と思った瞬間にエンストした(笑)。 かえって迷惑になってるじゃんかーっ。
続いて模擬試験、94点の合格。 オネーサマは軽く 98点を出したらしい(すげー)。
そしてついに人気ナンバーワン、レイナ(MAX)似の教官を引き当てた。 友達感覚で接している教習生も多い。 車そのものもゴキゲンで、アクセルがめっちゃ素直に反応してくれる。 レイナ先生のくしゃみはかわいいし(関係なし)。 場内に戻っても調子に乗ってハンドルを切りまくっていたら、初めて縁石を踏んだ(笑)。
最後に学科 6 「特徴的な事故と事故の悲惨さ」はタイプ@。 今回も見事な教えっぷりで、ケータイを鳴らした人がいても仏のような笑顔だった。 鳴らした人がホトケにされたわけじゃないよ(笑)。 LD は少々泣き落とし作戦だったんだけど、事故起こしてボーゼンとするヒマがあったら助けを呼ばんかいっ(笑)。
- 第24日 (1999年 9月29日) (エンストなし) 走行距離 13km
- 今日は 1時間しか車に乗れなかった。 今後の教習の予定のせいで 2時間キャンセルするはめになったのだ。 残り少ないんだからいい教官に当たりたい、と思っていたらイネムリ教官に当たった(笑)。
現在「自主経路」を計画してその通りに走る、ということをやっている。 指定されたチェックポイントを通りさえすればよいわけで、その道中のルートは指定されていない。 なのに半ば「お約束」のルートがあって、教官はそこを通るようになぜか圧力をかけてくるのだ(笑)。 今日はルートを教官に教えていなかったから、とある県道の本線に入ろうとして車線変更したら「ええええーっ!」とバカみたいに驚いてた(笑)。 そんな理由で補助ブレーキは踏まないでくれよ(笑)。
- 第25日 (1999年 9月30日) (エンストなし) 走行距離 7km、26km、14km
- 今日はハイライトといえばハイライト、高速教習のお時間。 無口な女の子と 2人で、山道とのセットメニューをこなす。 区切りに登場するのはもちろん桂小枝氏。
まずオレが先攻で山道に入る。 今日は都合により AT 車を使っていて、エンジンブレーキがほとんど効かないので下り坂はやっかいである。 そういうときはオーバードライブを OFF にしてだな、ドライブから定速ギアに変えて…手を伸ばすと小枝氏がチェンジレバーを握っていた(笑)。 小枝氏はハンドルにもよく手を伸ばすので、たまにペースが狂うこともある。 高速道路ではカンベンしてくださいよ(笑)。
その後彼女が山道を走り、そのまま山陽自動車道へ。 何度か通ったことがあり、父の 160km/h 運転も体験したオレだが、今日はかなり怖かった。 ふらふら〜っと路肩へ近づき、小枝氏が慌ててハンドルに手を伸ばすと急ハンドルになった(笑)。 その前にも大型貨物にごぉごぉけしかけられたりして(笑)、阪神高速以来の気分を味わった。
笠岡で高速を降りてオレに交代。 やはり運転してみると速さに違和感を感じるが、慣れてくれば一日の長。 調子に乗って 100km/h を出し、いつの間にか下り坂で 110km/h に達してたりする(笑)。 そういえば本線車道では一度もハンドルを動かさなかったなぁ。 「曲がれ!曲がれ!」と念じると曲がっていくから不思議だ(笑)。
夕方にもう 1時間車に乗る。 AT を運転してたのと、高速で走りが荒れたのと、コースがわからなくなってしどろもどろになったのと、帰宅ラッシュにつかまって生きた心地がしなかったのと、全部ひっくるめて 37点(笑)。 模擬試験の再挑戦も不合格になったし、オヒオヒ大丈夫なのか自分。
- 第26日 (1999年10月 1日) (エンスト 1回) 走行距離 9km
- いよいよ最後の「みきわめ」。 今までの調子だと不合格になることなどあり得ないのだが、高速教習以来走りが荒れてしまって(笑)、つまらないミスをしそうでちょっと怖い。
担当はヘビースモーカー桂三木助、技能教習初登場。 休憩時間は必ず独りで黙々とタバコを吸っている。 教官専用の喫煙コーナーがあるのに、まさか仲間外れなんてことはあるまいな。
「この後模擬試験を受けようかと思うんですけど、夜間料金はいるんですか」
「何言ってるの、いらないに決まってんじゃん」
このひねくれ方は可能性大(笑)。
しかも三木助氏の車はクラッチの具合がおかしい。 いつものように軽く戻してもクラッチがつながらないのだ。 もう少し戻すといきなりつながってしまい、県道に合流するところでエンストした(笑)。
かなりデリカシーに欠けたひどい運転だったが、とりあえずお墨付きはもらった。 方向転換や縦列駐車は今までただの一度も失敗したことがなく、どれだけ雑にやればしくじるのかその程度がわからない。 検定本番でやらかさなければよいのだがなぁ。
模擬試験に再挑戦、今度こそ 91点の合格。 それってぎりぎりじゃん(笑)。
いよいよ日曜日は卒業検定の日。 検定員をイネムリさせてみせます(よく言った)。
- 第27日 (1999年10月 3日)
- ついに卒業検定の日がやってきた。 延べ一ヶ月もかかっていないじゃないか。 もちろんこのままストレートに免許取得までこぎつける予定だけど、死亡事故を起こすのはそういうヤツばかりだ、と何度叩き込まれたことか(笑)。
仮免許の修了検定のようなピリピリ感はなかった。 今日は技能試験だけだから、みんな普段通りの運転をすれば合格できるようになっているのである。 ただ 1人、オレとペアを組む女の子だけがガチガチに凍っていた(笑)。 しかしオレたちの担当はかっ飛び説明のモハメド・アリ教官で、そのマヌケなご尊顔を拝むだけで気が落ち着いたのも事実である(笑)。
検定コースは路上だが短く、ごく普通に走ればよかった。 もう終わっちゃうのって感じ。 場内に戻ってから縦列駐車も難なくこなし、それで終わり。 もちろん合格であった、わっはっは。
合格発表の後「卒業写真」(笑)、そして「卒業式」。 所長サマのなげー話を 30分聞かされ、どの話題が餞なのかわからないまま教習所をあとにした(笑)。 もう来ることはないかもな。 そう思うとちょっぴり寂しかったのも事実である。
そのオバチャンの運転はおそろしいほどのノロノロ運転であった。 そして曲がったり方向指示器を出したり、発車したりするときに、彼女はいちいち大きな声を出した。
「次のカドを右へまがります。 方向指示器を出します」
「発車。 後方確認! 方向指示器、ギアをローに!」
操作のたどたどしいオバチャンはもうあがってしまって、次に何をしていいかわからなくなりそうだったので自分の体を動かすために大声を出したのだ。 もうヤブレカブレでしたから――と奥目の前でうれしそうに言った。 このオバチャンのやり方がまさに理想的な官憲好みのタイプだったのだ。
椎名誠「自動車たいへん記」より
最近はどうも警察や公安委員会の態度が強気らしい。 というのは、今まであまりに安易に免許を与えすぎたため、バカセーネンの無謀な運転による事故が増えているのだという。 だからってんで今後は検定を厳しくしなさいと通告を出したらしいんだな。 何という横着な手の打ち方か。 免許を取って公道に出てからが問題なんだから、免許更新の時に審査を厳しくすればいいではないか。 まぁここまで来た以上は後戻りできないので、オヤクショの牙城に槍 1本で立ち向かうぜ(弱)。
- 第28日 (1999年10月 5日)
- これが最後の聖戦(言い過ぎ)。 知る人ぞ知る辛香峠の山の上、岡山県運転免許センターというところに行って学科試験を♪受けなくちゃ、受けなくちゃ(はしゃいでんのか)。 ずいぶん広く立派な施設である。 これだけの土地を確保しようと思ったら、そりゃドのつく田舎にもなるよなぁ(笑)。
ややこしい手続きの後、試験はあっさりと始まった。 県警だか公安委員会だかわかんないけど、威圧口調の割には柔らかい受け答えで説明をしてくれる。
んで問題はというと…なーんかやけに難しい(笑)。 傾向が偏っている気がしたなぁ。 その中に、「〜のときは、A したり、B したり、C しないのがよい」っていう問題があった。 これは A も B も C もしないのがよいのか? A と B はするのがよいのか? 無駄に点を落とすことはできないので問い合わせると「意味を教えることになるのでお答えできません」だと(笑)。 こらーっ。 この問題、A と B はしないのがよいけど C はどちらかわからなかったのだ(笑)。
結果は合格であった(ぱちぱちぱち)。 珍しく見直しということをしたからなぁ(笑)。 ともかくこれで最後の関門を突破。 おめでとう。 ありがとう。 モット持ッテコイ(誤)。
写真撮影の後「合格者講習」と称してビデオを見せられる。 「さらば路上の恐怖」というタイトルだったが、レベルが低くてスプラッターな内容だったので耐えられなかった(笑)。 そして念願の免許証交付。 写真うつりの悪さにこっそり吹き出しながら、心の中で小躍りしてセンターをあとにした。
以上をもって本連載は終了。 教習所に入所手続きをしてから2ヶ月、延べ 28日での完結であった。 28 という数字は他人からは短いと思われているようである。 まぁこれだけ急いで免許を取ったら急いで車が欲しくなるわけだが、我が家の事情ではそうもいかない。 まずは熱を冷まして、人生設計に狂いを起こさない程度につきあっていけたら、と思っている。
世界一の自動車生産国になりつつあるというが、日本は自動車を使うという意味ではメーカーも、利用者も、行政もまだまだ発展途上国であるのかもしれない、とそのときフトさびしい気分で思いましたね。
椎名誠「自動車たいへん記」より