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鹿島槍岳 (長野県) 日本百名山 No.47
標高 2889m 標高差約 1560m
2000年10月 8日登頂

 関節痛というものは多くの場合一生モノであるらしい。 若干 22歳にして右膝と腰に関節痛を抱えてしまい、これからの人生どうなるものかと思いきやせっせと山に登っていたりもする。 2泊 3日の行程に膝が耐えられるはずはないのだが。
 10月 7日昼、信濃大町駅からタクシーで 20分あまり、アルペンルートで有名な扇沢の手前から柏原新道を登り始める。 入り口に「最初の 1時間はきついです」という看板がある。 ガイドブックには「年輩者でも安心して云々」なんて書いてあるが、それはよく整備されているという意味。 切れ目のない上り坂が続き、抜けたと思ったらガスの中へ。 周りの木々が高山植物モードに入った時いきなりゴールが見える。
 種池山荘(標高 2450m)に着いたのは午後 4時。 登山としてはもうすっかり店じまいな時間なのだが、何を思ったか突如として空が晴れた。 山荘から多くの人が飛び出してきて歓喜の渦。 夢中になってシャッターを押しまくったら大傑作ができた(→ 6枚目)。
 山荘のスタッフに田島寧子似のねーちゃんがいて、どたどたと駆け回る姿を見て楽しむ。 しかし汗で濡れた服を乾かすのと、軋みはじめた膝にバンテリンを塗ることで忙しい。

 8日、午前 7時スタート。 今日は縦走ルートで、まずは爺ヶ岳南峰をめざす。 宿では 4℃くらいだったが、道にはしっかり霜柱ができていた。 久しぶりに見た。 この後運のいいことにライチョウを発見、逃げないのでばしばし写真を撮った。
 爺ヶ岳中峰が 2670m、その後下って冷池山荘(つめたいけさんそう)が 2387m。 2時間30分で 220m 登って 283m 下る。 ここからまた 600m 登るのか、あああ。 冷池山荘で衣類などを預け、水のボトルも 2本置いてきちゃう。 これは結果として敗着。
 鹿島槍南峰までも縦走ルートなのだが、刃の欠けた包丁の上を行くようなものでひたすら登り。 右膝はしっかり痛い。 体力は大丈夫だろうが、こんな膝でこれだけ下るのかと考えたらぞっとする。 途中のピーク、布引岳(2683m)で荷物を降ろしストレッチ大休憩。
 冷池山荘から 2時間20分、正午過ぎに山頂に到着。 北を見れば鹿島槍北峰や白馬岳方面、西を見れば立山連峰、南東には八ヶ岳や富士山まで見えてしまうのである。 いろいろありすぎてかえってよくわからない。 むしろ寒い。 種池山荘で作ってもらったちらし弁当を食べるが水が少ない。
 ここからが試練。 山荘まで 2時間10分、登りとほぼ同じ時間をかけて下る。 母が自身のために買ったストックを分捕り、よっこらしょを連発しながら。 中高年の集団に何組抜かれたことか。 まいっか、山荘へ無事たどり着きビールで乾杯。 500ml のスーパードライが 700円、山小屋価格としては安い。
 冷池山荘は割と普通の山小屋であった。 夕食が前夜のものから エビフライ→鶏の照り焼き だけの違いだったことと、トイレの汚物入れにフタがなかったことくらい。 でも木々の間にあるので景色が悪く、夜半ごろから雨が降ってきたので明朝の御来光は拝めそうにない。 がっくし。

 9日午前 6時、小雨の中下山開始。 もう山頂は雨雲に隠れて見えない。 赤岩尾根はあまり安全なルートでもなくて、ストラップのついたストックを持っていないと危険かも。 雨だったし。 下っていくペースもすごくて、なだらかな長い道があったら迷わずそっちを選ぶ。
 約 3時間後、砂防ダムのある西俣出合に到着、もう心配はない。 工事用車輌が通っていた砂利道をてくてくと歩く。 距離は長かったが、それまでの下りに比べればずっと楽。 45分で大谷原(標高 1132m)に到着、お疲れさまでした。


久住山(九重連山主峰) (大分県) 日本百名山 No.95
標高 1787m 標高差約 550m
1999年10月10日登頂

 連載は続くらしい(笑)。 最近は膝がぎしぎしと痛むこともなく順調だな、と思っていたら日常生活でそれほど負担をかけていないことがわかった。 早い話が運動不足なのである(笑)。
 アタック開始は午前9時半。 開始地点と下山地点が違うため下山地点に車を置いて、開始地点までバスで移動したためそんな遅い時間になったのだ。 それでも始発だぞ(笑)。 そのバスを頼りにしていた人は多く、牧の戸峠は一大観光ポイントさながらになってしまった。
 最初の 15分で沓掛山までの標高差 170m を一気に登ってしまう。 あまりにも人が多い。 そのためかはたまた逆か、しばらくはコンクリート舗装が続く。 登山って感じがしない(笑)。
 その先はチベットの高原のミニチュアのような景色だった。 相変わらずたくさんの人が久住山を目指し歩いていく。 ミニチュアの割には人ばかりが目につき、その行列はサザンクロスの大十字架に向かって歩きながらハレルヤでも歌っていそうで怖かった。
 硫化水素がジェット噴射を続ける硫黄山などを左手に眺めながら、あっさり山頂に着いてしまった。 所用時間は 2時間20分。 誰かが「最後の坂がきついきついきつい」と言っていたが、八ヶ岳の赤岳山頂付近とは比べものにならなかった。 山頂にはなぜかビール売りがいるし(笑)、あぁ何てお気軽なやつらばかりなんだ、と感じたね。
 夜の宿は法華院温泉山荘というところ。 一般的でないルートを下ると途端に道なき道を行くハメになり、膝に負担をかけながらギリギリのところでたどり着いた。 母は「利尻の時よりきつい」と言っていたが、それは膝に不安を抱えていない者の意見なので黙殺する。
 山荘は相部屋の割にきれいなところだった。 1人1畳は確保されてたし(笑)。 ここでは夕食と朝食でゴハンの量を選べるが、「大」を選ぶと 1.5合くらいどかっと盛られるので要注意。

 翌朝、5.6km の道のりを2時間と少しで下る。 雨ヶ池越というサミットもあって下りっぱなしではなかったが、ちょうど適当な道だったね。 筋肉痛にならなかったし(そういう基準)。
 参考までに述べておくと、久住山は「主峰」だが「最高峰」ではない。 最高峰は中岳という名で、標高 1791m なのだ(九州最高峰)。 母は石鎚山(四国最高峰)でも頂上の岩ひとつ登れなかったそうだし(笑)、なーんか妙な気分。

利尻岳 (北海道) 日本百名山 No.1
標高 1719m 標高差約 1450m
1999年 8月 5日登頂

 福澤家史上初の飛行機遠征となった今回の登山旅、選んだのは日本百名山のうち最も北に位置する利尻富士。 母が登りたいと言い出したことだけをきっかけに計画を進めたが、体力的なことと飛行機がネックになって(笑)、正直あまり乗り気ではなかったりする。
 北の大地のさらに北はやはり涼しい。 陽射しは強かったが、西から容赦なく吹きつけてくる強風のせいか、気温は 30度には達していないようだった。 念のため鈴木その子化し、万全のスタイルで挑む。
 三合目を出発したのが午前4時半。 ここから先にトイレは一切ないという(笑)。 私は膀胱が大きい方なので(笑)何とかなりそうだが、女性は大変だろうなぁ。 顔ぶれにオバチャンが少ないのもうなずける話であった。 そして少し歩くと「甘露泉」という湧き水のポイントがある。 水もここから先には一切ないのだ(ええーっ)。 1人1リットルは用意していたのだが、明らかに少ないとわかったのは登りはじめて2時間後のことであった。
 しばらく木々の間を進んでいく。 早くも息が上がってきた(笑)。 明らかにおかしい。 …よく考えると先頭を行っていた父のペースがかなり速かった。 いつも何だかんだ言いながら登ってしまうのだが、さすがに今回は不安がよぎった。
 利尻富士は全体的に坂道が急である。 何と比べてかと言われると困るのだが、とにかく私の経験から言って急なのである。 次第に先が遠く感じられるようになり、「六合目まだァ」「七合目まだァ」とわざわざ口にする必要のない会話が多くなってしまう。 当たり前だ、まだ見えてないんだから。
 六合目地点から急に視界が開けた。 ここから上が高山気候ですよ、と線を引いて示されたようであった。 西風を遮るものがなくなり、がんがん吹き荒れる風に母がサンバイザーを吹っ飛ばされてしまう。 それは拾えたのだが、次に私が木の枝でジャージに大穴を開けてしまった。 …風と関係ねーじゃん。
 七合目から先は長かった。 そこまで2時間ちょっとで到達したのだが、その先は1時間 20分、45分、1時間という時間をかけなければならなかった。 それまで山頂のように見えていたピークは実は八合目の長官山で(爆笑)、それを越えるとまた別のピークが。 往生際の悪い怪物と対決しているような気さえした。 しかも足元が悪く、何度も足を取られながらロープにしがみつく、文字通り悪戦苦闘であった。
 登頂は午前 9時45分。 4時間ちょっとの散歩道である(それは吉幾三)。 社があるだけの山頂は狭く、20人ほどがひしめき合って登頂の喜びを分かち合っていた。 360度のパノラマは言うまでもなく絶景であった。
 さあ登った後は下りるだけ。 …なのだが、これが実は大変な苦労物語となってしまった。 登る途中に2度ほど左足がつったのだが、これをかばうようにしたのがいけなかった。 私は右膝に古傷(といっても新しいけど)を抱えており、踏ん張るごとにきしむようになってきた。 たまに激痛が走る。 そのうちずっと激痛が続くようになり、30cm の段差を下りるのさえ苦痛になっていった。 何とかふもとまでたどり着いたときには午後3時半になっており、下山に5時間を要していた。
 今回の旅、食べ物はおいしかったのだがあまりに代償が大きい。 もしこれで連載が終わってしまったら、ああそれは右膝痛のせいなんだな、と考えていただきたい。


月 山 (山形県) 日本百名山 No.16
標高 1980m 標高差約 600m
1998年 8月14日登頂

 頼むから「合算」と変換するのはやめてくれ。
 この山は標高の割に標高差が小さい。 八合目までバスが通っているのだ。 楽勝。
 月山の最寄り駅は鶴岡駅ということになろうか。 岡山からは移動だけで1日仕事だ。 しょうがない、羽黒山(標高 414m)の麓の宿坊で泊まることになった。
 翌朝はウォーミングアップ代わりの羽黒山登りから始まる。 1.8km、2446 段の石段が続くが楽勝。 …本当?
 出羽三山縦走組のために羽黒山頂発月山八合目行きという、我々にぴったしカンカン(死語)なバスが用意されていた。 何とバスだけで標高差 1000m を稼いでしまった。 急に鳥肌が立つのがわかる。
 標高差は残り 600m ほどになった。 歩き始めは木道、その後丸い石のタイルに変わる。 このタイル、歩幅と合わなくてかなり歩きづらい。 そのうち道が狭くなってくると無造作にがちゃがちゃと捨ててあるだけ。 何だよー、障害物はいらないよー。
 頂上付近で霧に包まれちょっと迷ったが到着。 記念すべき最高点は月山神社の敷地だった。 さぁ入ろう、としたら足止め。 清めてあげるから \500 払いなさいだと。 何だとーっ、ここまで来て最高点に立てないとは。 涙を拭いつつ3人分 \1500 を払って中へ。 …それだけの価値あったのかよー(泣)。
 夜は月山頂上小屋に宿泊。 夕食後外へ出るとあらまぁ(誰だ)、星がすんげー綺麗。 天の川も流れ星も見えた。 そしてどこからかハーモニカの音色が。 音に惹かれて歩いていくと演奏をやめちゃった。 今度は忍び足で耳を澄ませば…誰だ、屁(爆笑)。

 翌朝もしっかり御来光を拝み(出遅れた)、下りはじめる。 山形での滞在時間を増やすためになるべく早く下山したい。 だが下りは登りと違うルートのため、標高差が大きい(約 1000m)。 この下りは赤岳の時よりきつかった。 特にきつかったのは沢下り。 水が表面を流れる岩の上を歩くのは至難の業である。 これこそ落ちたら病院直行。
 午前9時半頃湯殿山神社に到着。 またまた泣きながら \1500 を祓い(間違い)、神社の中へ。 そこで我々が見たものは! 次週へ続く(なぜ)。
 山形駅に着いたのは正午過ぎ。 帰りの新幹線は 16:44 発なのでたっぷり時間がある。 そうだ、もう1ヶ所観光地をまわってこよう。 標高差約 1000m を下って膝ががくがくの一家が選んだ観光地とは…立石寺だった(爆笑)。


赤岳(八ヶ岳主峰) (長野県) 日本百名山 No.64
標高 2899m 標高差約 1150m
1997年 8月14日登頂

 白馬岳登頂から8年、両親も確実に年を取った。 いつもよりちょいと重装備で臨む。
 前日に少しだけ登り、標高 2340m の赤岳鉱泉という山小屋に到着。 少しと言っても2時間、標高差 600m を稼いでいる。 午後5時過ぎに早い夕食を取り(イタリア風ヘルシーベジタブルカレー!)、さっさと寝た。 …はずだった。
 山小屋というところは客を拒むことができない。 拒めばその客は寒さで死ぬかもしれないからだ。 だから大きな山小屋は相部屋なのだが、ここは特にすごかった。 大半が中年のおっちゃんなので、目を閉じてもいびきと屁がうるさい。 結局片時も熟睡できなかったじゃん。

 翌日午前 5時に朝食。 午前 6時登頂開始、ベストな時間である。
 とりあえず硫黄岳(標高 2760m)を目指すが、途中で雨が降り始めてしまった。 慌てて合羽を出そうとするが荷物の奥の方なのでとりあえず傘をさす。 …何だ、これくらいの山道なら傘のほうが便利だ。 これは使える。
 硫黄岳頂上付近で縦走路と合流する。 縦走路を歩くのは山歩きで最も楽しい。 適度に下りがあり見晴らしもよく、なぜか気分も良くなってしまうのだ。 ただ、突風が吹くとえらいこっちゃ。
 縦走路の次のピークは横岳である。 難なく主峰奥ノ院(標高 2795m)に登ってしまった。 ところが突然縦走路は包丁の背を行くような状態になる。 右を見れば茅野の墓場、左を見れば清里の墓場といった感じだ。 一枚岩に梯子や鎖がワイヤーで結びつけてあるという頼りない一本道の連続で、今から思うとぞっとする。
 一気に下ると、標高 2700m 付近から最後のスパート。 標高差 200m の壁は平均斜度 30°くらいだろうか、母は完全にバテてしまった。 私は余力が残っていたのだが、岩がごろごろしていて大変登りにくい。 ここを下るのはもっと危険だろう。
 その日の宿は赤岳頂上小屋。 文字通り頂上にある。 水の無駄遣いはあかんでー。

 翌朝、いつものように御来光を拝む。 写真ばちばちとってやった。 スキャナないけど。
 昨日に引き続き梯子や鎖の続く道を下る。 道が続くというよりは鎖が続くといった感じだろうか。 この道が下りでよかった。 …いや、こうも急斜面が続くと割と軽量な私でも膝ががくがくになる。 沢づたいの緩い下りの2時間がこんなにも長かったことはなかった。
 高速道路をすっ飛ばし、京都に着いたのが午後4時。 食事をしてから父と別れ(単身赴任先なのだ)、新幹線を探して飛び乗る。 自宅へ駆け込み、倒れ込む間もなく時計を見ると午後7時52分。
 やった、「めちゃイケ」に間に合ったよ。 …かなり奇跡かもしれない。


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