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大 山 (鳥取県) 日本百名山 No.92
標高 1711m 標高差約 700m
1985年 8月 3日初登頂

 資料を見て驚いた、この時私はまだ小学2年生である。
 ほとんど何も覚えていないはずなのだが、登りはじめのつらかったことだけは鮮明に覚えている。 7歳のガキにペース配分を考えてなどと注文をつけるほうが間違いで、ここはきっぱりと親のせいにしておこう。
 大山は無理をすれば日帰りの範囲なので、宿を朝早く出発して…などとは考えられない。 しかも頂上に山小屋はない。 そのため必然的に昼頃に登頂してその日のうちに下山、ということになってしまう。 すばらしい眺めにお目にかかれることはまずあり得ないのだ。
 アルバムを開くと何と当時の作文が残っていた。 我ながらひどい字と文である。 それによると登山開始は午前4時頃、頂上からの眺めは弓ヶ浜まで見渡せるほどであったという。 うーん、そんな眺めは全く覚えていないぞ。
 ちなみに、この後もう1度くらい大山に登ったのだが資料がない。 成果は同じ、ということにしておこう(適当)。

尾 瀬 (群馬県、福島県、新潟県)
1988年 7月23日〜25日

 こちらは小学5年生の時の山歩きの経験である。
 尾瀬といえば誰もが認める植物の宝庫である。 時期が少し遅れたのでミズバショウにはお目にかかれなかったが、ニッコウキスゲをはじめたくさんの植物を見てきた。 カキツバタとかモウセンゴケとかシャクナゲとか、資料がなくても頭に思い浮かべられる。
 尾瀬からはほとんど水が流れ出すことがない。 奥只見湖に通じる三条の滝というところがあって、おそらく川は滝に通じる1本だけだろう。 滝まで川沿いを歩いていったが、そんなに水量が多いとは思えなかった。 何が言いたいかというと、尾瀬は自然界の微妙なバランスの上にあり、大湿原が広がっているということ。 たくさん水が流れ出せば普通の盆地になってしまうし、流れなければ湖になってあふれてしまう。 燧ヶ岳(標高 2346m)をはじめ、2000m 弱の山々に囲まれている尾瀬は、まるで自然が作り出した実験室のようだ。
 文面で説明するよりも、ともかく一度実際に行っていただきたい場所なのだ。 ただ特異な地域なのでガイドブックを買い込むこと。 そしてレポートを提出すること(なぜ)。

立 山 (富山県)
1989年 5月 3日〜 5日

 このあたりハイペースだなぁ。
 立山は中央アルプス北部に位置するのだろうか(いいかげん)、主峰は標高 3015m の堂々たる山である。 でもいつもちょっと扱いが小さい。 それはなぜかというと、交通機関が発達しすぎているからである。 ご存じ「立山黒部アルペンルート」だ。
 問題はバス。 山頂に最も近い室堂停留所(標高約 2800m)はバスとトンネルバスの接点で、かなり排気ガスくさい。 万年雪があって子供達の遊び場所になっているのだが、どうも黒ずんで見える。 ちなみにその「バス」の方は、十数mの雪の壁の間をすいすいと走るアレである。
 ケーブルカー、バス、トンネルバス、ロープウェイ、ケーブルカーと乗り継いで到着したのは黒部第4ダム(通称「くろよん」)。 ここで景色を堪能した後、全く同じルートを逆戻り(笑)。 ついに長野県には入れなかった。
 …と思っていたら高校2年の修学旅行で信濃大町側からくろよんまで行く機会があった。 何とくろよんの上で、お隣のS高校の修学旅行組とはち合わせ(富山側から来た)。 同級生には会えなかったが、あまりにも劇的な再会であった。

白馬岳 (新潟県、富山県) 日本百名山 No.45
標高 2933m 標高差約 1600m
1989年 8月14日登頂

 実は尾瀬の記憶が強く残っててあまり覚えていなかったりする。 過去の登山歴の中で標高も標高差も最高なのだが、若かったせいかあまりつらくなかったのだろう。
 白馬といえば私は「雪渓」を思い出す。 字のごとく雪の川。 氷河とは違い、氷などの上に雪が積もって層ができたもの(万年雪?)。 層の下は川が流れているので落ちたら無事ではすまされない。 そんなところ(幅 50m くらい?)を登山者が列になって、靴にアイゼンという外付け式スパイクを付けて登るのである。 列からはずれて転んだりしたらそれこそ命が危ない。
 ずっと天気が悪かったっけ。 見晴らしは全く記憶にない。

八甲田山、奥入瀬 (青森県)
1990年 8月16日〜18日

 これも覚えてなくてごめんよー。
 寝台特急「日本海1号」で青森まで行って、そこからレンタカーを借りちゃったのだ。 かなり標高高いところまで国道が通ってるし、車から降りたかどうかも覚えていない。 はっきり印象に残っているのは奥入瀬の清流だけかもしれない。
 その後十和田湖で遊覧船に乗って、田沢湖で透明な砂拾って(石英)、小岩井で牛と遊んで、盛岡駅前でわんこそば食べて、グリーン個室1人用で帰ってきた(普通車指定席もグリーン車もなかった)。
 …これは山歩きの範疇に入らないな。

大 山 (鳥取県)
1991年 5月18日登頂

 中学2年の時、宿泊研修をかねて3度目の登頂。 何のことはない、登っちゃった(終)。

由布岳 (大分県)
標高 1582m 標高差約 950m
1992年10月24日登頂

 九州山地は急峻、筑紫山地はなだらか。 これは地理で習ったとおり。
 由布岳はそんなイメージそのまんまの山であった。 空は快晴だったので頂上まではっきり見え、山肌は草原一色。 抹茶アイスのようだった、と例えるとわかりやすいだろうか。
 天気が悪くなる兆しはなかった。 いつでも上を見れば山頂が見え、麓を見れば温泉宿が見える。 実はかなり単調な山だったかも。
 JR 西日本の「九州交響曲(シンフォニー)」のバージョン1は阿蘇の草千里のバックに「軽騎兵序曲」が流れていたなぁ。 九州の山々と草原、そして「軽騎兵」、なかなかすばらしいマッチングである。 さりげなく宣伝。

剣 山 (徳島県) 日本百名山 No.93
標高 1955m 標高差約 550m
登頂日不明

 どうして使い捨てカメラなんだよー(切れるな)。 日付がないじゃん。
 剣山は高い山の4合目あたりまでを取り出したような山であった。 植生の高度限界とかそういう話になるんだろうけど。 この頃になると周りの風景でペースを決められるから、かなり余力を残して登頂できた。
 どうしてロープウェイなんてものがあるんだよー(切れるな2)。 頼るつもりはないわい。

大台ヶ原 (奈良県) 日本百名山 No.90
1994年10月 9日〜10日

 すまねぇ、記憶がねぇぞ(またか)。
 もう私は山歩き初級者の域は脱したはずだ。 トレッキングコースが設定してあって、そのルートをたどるなんてお安いご用。 いい運動になったのは間違いない。
 天気が悪いときに限って覚えてないもんだなぁ。 八甲田山も濃霧だったし。

毛無山 (岡山県)
標高 1218m 標高差約 500m
登頂日不明

 岡山県内にはあまり高い山はない。 大山は太古の昔火山だったし、中国山地はそんなところだ。
 だからナメてかかっていた。 カメラも持って行かなかった。 だから日付がわからない。
 ちょっと水筒が小さかったのが原因なんだろうか。 簡単に登ってしまい、昼食で全部お茶を飲んでしまった。 下りは上りと違うルートの予定になっている。 これだけの標高差ならいつもは水分はもういらない。
 …迷っちゃったよ(衝撃の告白)。
 縦走路と下りルートの分岐点を間違えたらしいのだ。 まともな看板はない。 距離からすればこの分岐点なのだろうが、見通しが悪く位置関係の確認ができない。 しばらく歩くとだんだん道がなくなってくる。 どうやら尾根伝いの獣道だったらしい。 最悪である。
 左へ降りればいいことだけはわかった(頼りない)。 既に道はなく、頼れるのはなぜか木に結んであるピンクのリボンだけ。 普通リボンがあれば獣道程度には歩けるのだが。
 そのうち足の裏に嫌な痛みが走った。 地面からぴょんぴょん天を向いて生えている葦のようなものがトレッキングブーツの底を突き破ったのだ(!)。 \10,000 もする代物に穴をあけるほど強靱な植物が県内にあろうとは(的外れなコメント)。
 結局無事にダムの近くまでたどり着けたのだが、視界が開けたそこは 5m の崖(!!)。 有刺鉄線を握って降りた(!!!)。 その後車まで数 km の道のりはあまりにも長かった。
 はぁ、書くのも疲れるわい。


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