●2000年 8月の企画モノ●

WITCH'S DICTIONARY OF PROVERBS
魔女のことわざ辞典


「あ」 青は藍より出でて藍より青し

 もともとは、――「逢おう」は愛より出でて愛より「逢おう」多し――と書くのであって、最初のうちは愛し合うが故に逢おうという気も起こるのであるが、だんだんしらけてくると、とにかく逢っておけば一応愛しているような体裁が保てる、ということを言うのである。

「い」 石の上にも三年

 たとえ相手がまるっきりの不感症であったとしても、三年くらいは努力してみないと、これが案外拾いものだったりすることに気づかないでしまうこともあるから、とりあえずがんばってみるのだよという意味である。

「い」 一富士二鷹三茄子

 いい女の条件は、一に山本富士子すなわち美人であること、二に夜は夜鷹のごとくあること、三にナース美、すなわち看護婦のように傷をいやしてくれるふところを持つこと、の三つであるよということなのである。

「え」 江戸の敵を長崎で討つ

 昔、甘い物好きの男が隣のしみったれ野郎に意地悪されて、茶菓に江戸むらさきを出された。 それを食べられなかった男は、もひとつ隣の辛い物好きの男を招き、長崎カステラを山ほど出して憂さを晴らすのであった。 ということで、自分より弱い者を見計らってから憂さを晴らすこと。 別な言い方をすれば「大犬は子犬をせめ子犬は糞せめる」ということなのである。

「か」 亀の甲より年の功

 男は、持ち物それ自体の甲乙よりも、やがて身につくテクニックが肝心なのだよ、という意味である。

「き」 気違いに刃物

 本来は「聞き違いに刃物」といったのであって、人がまじめに話しても上の空で、いつもいい加減な聞き違いばかりする相手とどうしても話さなければならないときは、後ろ手に刃物でも持って出かけましょうという意味である。

「き」 綺麗なバラにはトゲがある

 通常の女の域を越えてひときわ美しい女というのは、近くに寄ってよく見るとヒゲの生えたオカマであることがよくあるのだよ、という意味である。

「き」 漁夫の利

 コンブのようにバカでかい「ふのり」のこと。

「き」 窮すれば通ず

 金に困窮してくると、高い肉が食えないので馬肉やクジラ肉のスジばかり食う。 ところがこれは固くて消化が悪いので、よく下痢することになる。 つまり通じるようになる。 すなわち、貧乏人はつい痩せるという根拠をいうのである。

「く」 君子は豹変す

 一見まじめそうに見える奴ほど実はむっつりスケベが多い、ということである。

「こ」 弘法も筆の誤り

 いかに聖人と呼ばれる人でも、相手の女に病気があるかないかまでは見破れない、ということである。

「こ」 紺屋の白袴

 本来は「高野の白馬鹿まぁ」と書く。 高野豆腐というのは、ある程度うすら汚い色だからこそ高野豆腐なのであって、これが真っ白に漂白してあった場合には馬鹿でもまぁと驚く。 転じて、馬鹿をだますにゃ化粧から、という意味である。

「し」 地獄で仏

 事後はつい空腹であるので、起き出して夜食を食ったりする。 それもまぁよく食う。 しかし、いちいちしらけるといってとがめずに、まぁ気持ちを大きくして、放っとけ放っとけ、と言うのである。

「し」 親しき中にも礼儀あり

 下敷き、すなわち敷き布団の中に例の疑惑がある。 ということで、これは己れの寝小便に気がついた瞬間のどっきりした気持ちを言うのである。

「せ」 背に腹はかえられぬ

 背とは「夫(せ)」腹とは「腹から」、すなわち兄弟であっては夫のかわりにはならぬという、近親相姦を防ぐためのことわざなのである。 この逆を「立っているものは親でも使え」という。

「ち」 沈黙は金

 「男は黙って…」ということなのである。

「て」 鉄は熱いうちに打て

 徹マンをする時は、ツキが何時廻ってくるかということにとても左右されやすいので、自分で最もノッている時に勝負に出られるよう、日頃から深夜のコンディションの波長をよくわきまえておけ、ということである。

「て」 天は二物を与えず

 天丼は、自分で食べる時ならともかく、人におごる時にはその具の種類が二種類以上のものをおごるとクセになるので、ごく簡素な天丼にするとよいということ。 すなわち、人にいいところを見せようと思う時は、少し控え目にしておかないとあとでどんづまる、ということなのである。

「て」 天は自ら助くる者を助く

 天ぷらを揚げる時にはね飛ぶ油で火傷をしないためには、まず材料を水から離す。 すなわち材料の水気をよく切ることが、安全に揚げるコツなのだよというのである。

「と」 飛ぶ鳥あとを濁さず

 鳥というものはその構造上うしろへ飛ぶことはできない。 したがって、うしろの空気をないまぜるということは不可能なのである。 すなわち、渡世人は過去をふり返ってはならねぇというのである。

「ぬ」 盗人にも三分の理

 たとえ女房を寝とられた現場をおさえた場合であっても、相手の男が三分、すなわちピチピチのブリーフを身につけるまでは待ってやる、くらいの理性は夫たるもの保ちたいことであるよ、という意味である。

「の」 能ある鷹は爪を隠す

 鷹とは夜鷹のことであって、能ある、すなわち奥義をきわめたベテランクラスの夜鷹になると、手の爪を伸ばしておくようなことは決してしないものなのであるよ、という意味の格言。

「の」 残りものには福がある

 いつまでも独身でいる者は、結婚した者に比べるとガキにかかる金などの分だけ自分の服を余計に多く持っている、というのである。

「の」 のれんに腕おし

 満員の通勤電車で「もうこれ以上乗れん」とうったえる乗客を腕力で力いっぱい押して、なんとか乗せてしまう国有鉄道職員のことを言うのである。

「ひ」 人のふり見て我がふり直せ

 本来は「人の振る見て我も振り直せ」というのであって、このくらいの相手で妥協しておこうかなと思ったのと同じような程度の相手を、他人がいともあっさり振るのを見たら、自分も考え直してやっぱり振っちまいたくなってくる、ということなのである。

「ふ」 夫婦喧嘩は犬も喰わない

 夫婦喧嘩をするとお互いに顔をつき合わせることも不愉快であり、したがって共に食事するなどもってのほかであって、たとえ珍しい高級犬肉が手に入ったとしても、二人一緒でならまっぴら喰う気も起こらない、という意味である。

「や」 柳の下のどじょう

 夏の風もなく蒸し暑い真夜中には、柳の木の下を通るのはなんとなく薄気味が悪い。 そこで、お互いに連れに「お先にどうじょ」「どうじょ」とゆずり合う、という意味なのである。

「よ」 夜目遠目笠の内

 女には三つの種類があって、ひとつは嫁。 ひとつは女からすでに遠い女、つまりばあーさん。 そしてもうひとつが、かあーさんの保護の内、つまり娘なのであるよ、という昔のことわざ。

「り」 李下に冠を正さず

 スモモの木の下を通る時は、いつ実が降ってくるかもしれないし、また、まわりに誰も見ていない瞬間がやってくるかもしれないので、冠のかっこうを気にしているヒマなどもったいない。 すなわち、目標にたち向かう時になりふりなどかまっちゃいられない、という意味である。

「わ」 われナベにとじブタ

 ひびの入ったナベにブタの卵とじを盛ると、おつゆがこぼれて出てしまって、ブタ入り炒り卵になってしまう。 すなわち、中身と器の組み合わせをよく考えないと結果として中身にも変化をきたすことがある、ということなのである。


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